JCという組織は、明るい豊かなまちづくりを目指す運動を推進していく組織です。簡単に言えば、「まちのための運動体」なのです。間違っても、そこに所属する会員の親睦を深めたり、利益を目指したり、趣味を楽しみ合ったりするのが目的ではありません。まちのための運動を推進するということは、ひとのため、まちのために私立つが努力するという、極めて崇高な行為です。しかし、それもひとのため、まちのためという崇高さゆえに、一歩間違えると、大変危険な行為となってしまいます。ましてこの運動を担うのは、20代、30代の青年、まだまだ未熟さが残る私たちによってのことです。それだけに、何のために運動するのか、といった運動の目的や、何故、運動をするのか、運動推進の原則とも言うべき、運動の理念などについて十二分な認識が要求されるのです。この運動については、どのように運動するのか、といった方法論よりも、ずっと重要なことです。
何故重要なことかと言いますと、そのひとつに組織的理由があります。ご承知のようにJCは1年で人事が交替していく単年度制です。このことは、運動の最前線で活躍する年もあれば、組織の運営に携わる年もあるということです。つまり、あらゆるセクションで、会員としての使命を果たしていくことが前提と考えれば、すべてを統括しえいる組織の基本的な理念をしっかりと身につけていることが必要になってきます。JCという組織は、運動体です。運動を推進していくことが、組織上最優先されますから、組織の運営も、運動のための運営になります。従って、運動の理念こそ、組織を総括した理念になるのです。
毎年毎年新しい会員が入会してきます。一方40歳になると卒業していく、入替わりの激しい中において、運動理念をきっちり伝えていくことは、会員としての、必要最小限のトレーニングです。すべての会員が一定レベルで、JCの運動理念について、明確な考えを持っていなくては、運動体としての機能が失われてしまうことになるでしょう。主として組織の人事的な理由からも、運動の理念はいつでも明確にしておくべきです。人材とは、理念を明確に持っていることが、原則的な条件だからです。
もうひとつの理念を明確にすべき理由は、運動のエネルギーを正しいものにしていくためです。理念とはものごとの本質であり、それは人生観や価値観などにも通じる考え方のことです。従って運動をどのように推進していくか、といった運動の方法論を、単に補佐するだけのものではありません。
JC運動の理念を明確にしていくことは、自分自身の人生観、価値観を見直すことであり、人生としての生きざまを自らに問いかけることでもあります。
JC運動は、まちを変えていこうとすることです。時には、人様に口を出したり、手を出したりすることがあるわけです。ですから、真に人間性に根ざした正しいものの見方、考え方が、その背景になくてはいけないのです。
理念を明確にしていくことは、正しい理念を身に着けていくことです。要するにJC運動を担う者の正しい理念こそが、JC運動を正しく展開させていく最大唯一の要因であるわけです。正しいJC運動のエネルギーを、正しい方法論を見出すことができ、それによってのみ、正しい理念を身につけることができるのです。いい加減な考え方から出発した運動は、いい加減な結果しか与えてくれません。正しい理念を身に付けることに、どんなに時間がかかろうとも、どんなにエネルギーを使おうと、この基礎ともいうべき作業が、きちんとできていなくては、かえって逆効果を及ぼすこともあるのです。